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ゴアの風景は、変わるところがなかった。
12月だというのに、やはり日差しは強い。 今年はザビエル神父の聖骸顕示がないので、聖堂の広場はまばらに人がいるだけだ。 この1年、わたしはマラッカや広東沖の上川島、五島列島や鹿児島の山川港、山口の町や石見銀山に足をはこび、アンジロウの手記の検証につとめた。その結果、アンジロウが書き残した物語は、歴史的な事実であり、まさに真実の記録であるとの確証をもつにいたった。 広場を横切り、ボム・ジェズ教会の大きな聖堂に入った。 見上げると首が痛くなるほど高くに祀られているザビエル神父の棺にひざまずいて拝礼をした。 奥の出口から聖堂を出て、司祭館にまわった。ひっそりとした回廊を歩いていくと、昨年、対応してくれたインド人の助祭に出逢った。 わたしは笑顔であいさつした。 「またあえてよかった。戻ってきました。手記の翻訳が出来ましたよ」と話しかけた。 彼は小さく首をふって「あなたはどなたですか?」 じつは、昨年、石見銀山と山口の調査を終えて、萩の教会に立ち寄って、ヴィリヨン神父に会った。 筆写してきたアンジロウの手記を見せ。筆写した事情について話した。 神父は「これは贋作ですね。師ザビエルとは縁もゆかりもない空想物語です」筆写本を、私の前に押し戻しながら言った。 「いえ、わたしの調査では、まさに真実です」 各地に残る古文書で確認できた人名をあげて説明をしたが、ヴィリヨン神父は、けっして首を縦にふらなかった。 「あなたが真実だと信じるのは自由ですが、カトリック教会は、この手記を真実だとは認定しません」 それ以上、取り付くしまはなかった。 ――手稿に対する箝口令が出ているにちがいない。手稿そのものも残っているかどうか……。 昨年、お目にかかった司祭に会うことが出来たが、司祭はそのようなアンジロウの手稿は教会には存在しないという。 「もういちどお訊ねします。ザビエル神父について日本人信者の手稿は、存在していないのでしょうか?」 「ありません」 まっすぐにこちらを向いた司教がきっぱりと断言した。それが公式見解ということだ。 それ以上の質問を諦め、司教に礼を述べて部屋をでた。 司教公邸を出ると、足は自然と聖パウロ学院の廃墟に向かった。 今一度、アンジロウの墓に参りたかった。 心覚えのあたりを踏み分け、下草をかき分け探したが、丸い墓石は見つからない。 ――歴史から完全に抹消されたか……。 そう考えるのが自然な気がした 諦めきれずに、さらに広い範囲を探したが、墓石は見つからない。 「旦那(マスター)……。日本人の旦那だね。まだ、インドにいたのかい?」 声に顔を向けると、去年、墓石のことを教えてくれたインド人の若い男が立っていた。まえと同じ水色のシャッツをきている。 その男に墓石のことを訊ねると、その墓石のあるところを知っていて、そこにつれて行ってくれるという。 森を歩いて、男はみすぼらしい土壁の小屋に向かった。屋根は板葺きだ。 小屋の土間のすみに竈があり、その横に丸い石が置いてある。 わたしはしゃがんで、石の側面をなでた。 Anjiro Japao と小さな文字が刻まれている。確かにまちがいなく安次郎の墓だ。 「もって来ておいてよかった。いつだったか、教会の神父たちが、墓石を探しに来たんだぜ」 「この石を……」 「そうだよ。知らないかって聞かれたけど、知らないと答えておいたのさ」 「ありがとう」 背広の内ポケットから紙入れを出すと、わたしはルピー紙幣をすべて男に渡した。 「守ってやってくれ。ずっと大切にしてくれ」 男は目を丸くした。 「そんなに大切な石だったのか……」 「ああ、これは魂だ。海の果ての銀の島を守った男の魂だ」 言いながら、わたしはまた石を撫でた。 出典:山本兼一(著) 「銀の島」 朝日新聞出版 |
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