アイティデザイン


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ザビエル神父の伝記を書くために、10月下旬、横浜港を出港した。上海、シンガポール、マレーのピナンなどに寄港して、コロンボに入港し、ここから機械油と香辛料の匂いに満ちた蒸気船に乗りゴアに着いた。

今日・12月3日はザビエル神父の昇天の祝日である。

ボム・ジェズ教会聖堂の正面に巨大で荘厳で、すべてが金色に塗られた祭壇がある。その前に白布をかけた台に、銀の天蓋のついた聖なる棺が置いてある。
「やすらかにお休みください」とつぶやいて十字を切り、祈った。
  あなたの物語を書きます。よろしくお導きください。
こころのなかでそう祈って、聖骸の前をはなれた。

ザビエル神父のことを調べたくて、助祭に図書室を借りたいと申し出たがご開帳の期間中は閉めているという。助祭は私が日本人かと確認をした後、小走りに聖堂の奥の会議室につれて行った。
白い祭服を着た司教と聖職者そして西洋人、インド人など10ばかりが大きなテーブルを囲み会議が行われていた。
司教は真ん中に席を作ってくれ、あたくしはその椅子にすわった。
司教は素人が紙を折りたたんでひもで綴じた手製の帳面をわたしの前に差し出した。

表紙には、黒っぽく変色した青インクで
  ザビエル神父の 真実の記録
とポルトガル語で書いてある。
表紙を開くと、カタカナとひらがな、漢字のまじった日本語が、縦書きにびっしりとしたためてある。
読み進むと刺激的な文字が目に飛び込んできた。
  シャビエル神父ハ、ポルトガル国王ジョアン3世ノ細作トナリタルニ依ッテ、多額ノ献金ト布教允許ヲエラレタリ
更に
  ポルトガル船襲来シ、銀山ヲ奪取セントス
とんでもない一文があった。

最後まで読んで表紙に戻り、その裏を見ると、ポルトガル語で
  Anjiro Japao ゴア 7月7日 1554年 星に祈りを
と記されている。

私は筆写を願い出て、すべてを筆写し終えたのは3晩目の夜明けだった。
私が滞在したボム・ジェズ教会から東にしばらく歩くと聖パウロ学院の跡があるはずだ。ぐるっと廃墟をまわって、学院の裏手で、手ごろな丸い石に腰をかけた。
土地の観光客相手の若いインド人が日本人・アンジロウの墓はいま、私がすわっている丸い石だという。
その石に控えめな小さな文字で
  Anjiro japao
と刻んであった。

筆写した手稿を日本に持ち帰り、手記に出てくる各地をまわった。近在の寺をまわり過去帳を閲覧したり、鹿児島、山口、大分、マラッカなどを訪れそして志那の川上(サンシャイン)島にも渡った。
その結果、彼が体験した出来事を正確に再構築して物語ることこそ、文筆家のわたしに与えられた仕事であると確信した。

出典:山本兼一(著) 「銀の島」 朝日新聞出版
つづく

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