コミュニティ デザイン


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「まちづくり」をすることは難しい、そして今ひとつ解りづらいと言われています。

まつづくりと同じような事柄に
思い出づくり
子づくり
家づくり
などがあります。

パック旅行には最小催行人員といって、その旅行を実施する最低の募集人員を決めるルールがありますが、
思い出づくりの最小催事行人員は一人でも出来ます、例えば大丸のほっしゃれはおいしいなど、
同じように、この場の話題にはちょっとですが、子づくりは男と女の二人で、
家づくりは大工さんそして設備屋さんなど3人から5人あるいは十何人の人々でつくることが出来ます。

それでは、まちづくりの最小催行人員は何人でしょうか?。

北見市の先程の場合では12万人または5千人、あるいは同じテーマの数人のグループなど、ある意味では最小催行人員は∞・無限大と言うか特定不可能です。
そして誰がリーダーでやるのか、誰がパートナーになるのか、誰が主体的でやるのかなどあまり具体的でなく、漠然としています。
このことを考えていくと、まちづくりは難しくなります。
まちづくりは好いことなのですが、ちょっとおいといて、「マイジカラ」としてとらえて見たら、具体的に見えてくるのではないでしょうか。

「マチジカラ」をまちの魅力と考えると、そのまちには元々魅力があるのです。
それが、今、私たちは感じなくなってしまっているのです。感覚が鈍磨しているのです。
その土地に住んでいると、身近で見えづらいのですが、その土地を離れる・北見からはなれると見える、外から見ると見える・よそ者の目からは見える。
「マチジカラ」を再発見することです。

「マチジカラ」には現象として見えるものと、見えないものとがあります。
見える「マチジカラ」には大丸のほっちゃれ、焼き肉、タマネギ、塩焼きそば、ホタルなどがあります。
見えないものでは、信頼、きずな、お互い様の気持ち、いわゆる互酬性です。
最近、北見では、めだたなくなっている、ありがたがらなくなっているのです。
このことは北見だけの問題でなく、札幌・東京・世界のまちの問題となっています。


アメリカの学者でロバート・パットナム(注1)という政治学で有名な先生がいます。
その人の著書に「孤独のボーリング/Bowling Alone」(注2)があります。
簡単に言いますと、ボーリング場は多くの人々が集い楽しい社交の場であった、それが最近は一人で来てボーリングをしている姿が多くなった。地域の人々の愛他心やお互い様の気持ちいわゆる互酬性が忘れ去れてしまった、そして地域が崩壊してしまった。
この見えない「マチジカラ」を今一度再発見して、地域の人々が集い楽しく過ごす「Bwling Togther 」でなければと思うのです。
このことを考えるのがこの会であると考えます。

北見の商店街でも、シャッターが閉まっているとことがあります。「ショッピング・アロン」です。
なかなかうまくいかないことですが「マチジカラ」を今一度再発見すれば、賑わいのある「ショッピング・トゲザー」にすることは可能だと思います。
愛他心やお互い様の気持ちいわゆる互酬性がキーワードになると考えています。

北見には「冬あか一掃運動」があります。この運動は春先、まちの人々が一斉に一冬のまちの汚れをきれいにする運動です。
まちのみんなが春のある朝、一斉にするから「冬あか一掃 Togther」なのです。
そのままにしておくと、お互い様の気持ちをみんなが意識しなくなり、一人・一人でやる「冬あか一掃 Alone」 になってしまいます。
このようなことにならないように、このような会を通じて北見にあるマチジカラをもう一度確認する、あるいは外のまちから持って来て新しいマチジカラを移植して北見のマチジカラを造っていく。
そして、5年、10年と振り返ってみると、まちはつくられいると思います。

※「注」
(1)ロバート・パットナム
ロバート・パットナム(英: Robert David Putnam、1940年1月9日 -)は、アメリカの政治学者。ハーバード大学教授。
オハイオ州生まれ。スワースモア大学およびオックスフォード大学で学び、1970年、イェール大学より博士号取得。ミシガン大学教授を経て、1979年からハーバード大学で教鞭をとる。
出典:ウィキペディア
くわしいつづきはこちら

(2)「孤独のボーリング/Bowling Alone」
amzon.co.jp のページはこちら




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