オホーツク観光の未来~流氷観光の次なる新たな事柄を創造する~
1985(昭和60)年2月、外国大使ご夫妻が流氷観光で網走を訪れていた。網走セントラルホテルの宿泊棟のワンフロアーを貸し切り、厳重な警備体制が敷かれていた。当日の夜は、網走市長始め地元の皆さんが集い、和やかでにぎやかな歓迎の晩餐が同ホテルの大宴会場で催された。宴は同ホテルの調理部門がオホーツクの食材で美味しく、豪華な料理で盛りあがった。
その前年、1984(昭和59)年、網走市の経済部長に大場脩さんが就任した。前職の観光課長時代からの言説『①観光を網走の中心的産業として振興を図る②網走イコール刑務所のイメージから脱却するために流氷をメインに据えて売ってゆく』の2点が街の目標になり、大場部長の強いリーダーシップで実行に移された。東京銀座ナイン商店街の歩行者天国のイベントに、4トントラックで2トンの流氷塊を網走から輸送して、流氷をPRした。
その後、1991(平成3)年、流氷観光砕氷船「おーろら号」の運行開始、2015(平成27)年、オホーツク流氷館が天都山にオープンした。
冒頭の大使流氷観光訪問から、およそ40年の月日がたった現在、流氷の勢力は衰え、滞留期間は短くなり、温暖化で将来、流氷が訪れないのではとの危惧の声がささやかれている。オホーツク・流氷観光は今、曲がり角にきている。これからの10年・20年を展望して新たなるオホーツク観光の未来を創造しなければならない。
今一つ、人口問題がある。昨年11月、人口戦略会議が発表した報告書では、2050年の北見市の将来人口は76,006人、また将来的に「消減の可能性がある」とされるオホーツクの自治体は佐呂間・美幌などの14市町村が上げられた。北見市は縮みの戦略、そして北見を中心にそれぞれの町が相互に連携して、それぞれの消減を少しでも食い止められないか。このことも本プロジェクトで検討したい。
視点を鉄道に移すと、『単独では維持困難とする、黄色線区・石北線の存続のための抜本的改善策について』の問題がある。
これらの課題を私たちは孫子の代を見据えて、取り組まなければなりせん。今回は「オホーツク・アドベンチャートラベル」に焦点を絞り、仮説を立てその検証を行う。
■具体的取り組み
1)オホーツク・アドベンチャートラベルで地域を活性化する(PDF別ファイル)
2)オホーツク・アドベンチャートラベルの課題と対応(PDF別ファイル)
アドベンチャートラベルとはどんなものか、その定義やオホーツクでの実験プランを作成する。アドベンチャートラベルは広域でのプロジェクトです、北見を中心に街と町が相互に連携して計画を組み立てる。
3)オホーツク・アドベンチャートラベルネットワーク構築実装計画
上記のプロジェクトを進めるためにはオホーツク・アドベンチャートラベルに関わる市民・団体・自治体・企業などが情報を共有してその展望を切り開かなければならない。そのツールとしてネットワークを創設する。
詳しくは別に示す
以上
オホーツク観光の未来~流氷観光の次なる新たな事柄を創造する~(本文PDF別ファイル)
R07/04/11
アイティデザイン研究所
石北沿線ふるさとネットワーク 石北本線地活用部会 副部会長
逢坂信治記
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