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ピアソン記念館 百年記念 企画展 「ピアソン邸 100年の歴史」

野付牛の時代、米国人宣教師ピアソン夫妻の住宅(木造二階建て)の西洋館が米国人建築家ウイリアム・ヴォーリズによって建設されました。その後、昭和43年に北見市が買い取り、復元し、昭和47年にピアソン記念館として、公開されました。そして、平成13年、北海道遺産に指定されました。
ピアソン夫妻はここで、大正3年から昭和3年までの15年間、布教活動を行いました。
ご夫妻の生まれ故郷は米国ニュージャージー州エリザベス市です。昭和44年、ピアソン夫妻が架け橋になり、北見市とエリザベス市は姉妹都市になりました。
平成26年7月20日、エリザベス市のクリシュナ・ガーリック保健福祉部長さんとスタンレー・ネロン同次長さんの2人がピアソン記念館の100周年を祝うために訪れました。
私達、北映のグループは緑豊かなピアソン記念館の素顔を撮影しました。


   
ようこそエリザベス市から

 
  ピアソン夫妻の生まれ故郷、アメリカ・エリザベス市のクリシュナ・ガーリック保健福祉部長さんご一行が来北、歓迎の音楽会です。
北見交響吹奏楽団が「星条旗よ永遠なれ」を演奏。
 
 
グリーンコンサート 

 
  大正から昭和にかけ、ここで暮らした宣教師ピアソン夫妻が音楽に親しんでいたことにちなんで毎年開催。
今年は市内の小学校ブラスバンド部や中学吹奏楽部など楽しく演奏。


 
 
  子供たちの未来へつなぐ

 
  ピアソン記念館が地域と歩んだ
100年を祝う。
そして12月には北見赤十字病院の新病院が開院する。
北見の子供たちの未来は限りなく広がる。

 
     
  クリート碍子配線  
  大正・昭和の時代、住宅や工場の電気工事はクリート碍子配線が多く使われていました。
クリート碍子は陶器で、2つ一組みで、溝に電線を挟んで配線します。またノップ碍子・碍管・クローゼットなどの磁器製の部品も使っていました。
当時を知る貴重な電気遺産です。 
 
平成26年11月


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