常呂遺跡の痕跡が語るオホーツク文化圏
遠い時空のかなた 7・8世紀に最盛期を迎えたオホーツクを探る
私の手元に文庫本「オホーツク街道」があります。本書の終章で著者・司馬遼太郎は”私どもの血の中に、微量ながらも、北海の海獣狩人の血がまじっていることを知っただけで、豊かな思いをもった。旅の目的は、それだけでも果たせた。”と記述しています。
また「日本国は、大和民族だけで成立しているのではなく、アイヌ人、ギリヤーク(ニブヒ)人、オロチョン(ウィルタ)人、小笠原白人などからなっている」と云う言説があります。
今から1500年前・5世紀頃、サハリンから北海道に南下し、7・8世紀に隆盛期を迎えたとされる、クジラ・アザラシ・オットセイなど海獣狩猟を主たる生業としていたオホーツク文化が最近にわかに注目を浴びています。
いまに生きる、私の遺伝子のなかに、当時の古代オホーツク文化が少しその設計図に刷り込まれているのではなかと悠久の時を超えて、連綿と続くその命の時空に思いを馳せています。

■オホーツク文化圏
オホーツク文化の遺跡分布で知られている地域は、南サハリンと北海道の北部から東部にかけての地域、それに千島列島です、つまりオホーツク海南部を取り囲む地域なのです。
上記のように、オホーツク文化と言う名称は、よくその地域的特性を表しています。
A)サハリンで知られているオホーツク文化の遺跡は100ヶ所ちかくありますが、主ないくつかは次の通りです。
①鈴谷遺跡
②アジョールスク遺跡
③スタロドゥブスコエ遺跡
④東タライカ遺跡
⑤ネベリスク遺跡
⑥ナイブチ遺跡
⑦上三ノ沢遺跡
B)オホーツク海沿岸のオホーツク文化の主な遺跡 西岸から東に
⑥香深井遺跡(礼文島)
⑦オンコロマイ貝塚(稚内)
⑧目梨泊遺跡・北尻北チャン(枝幸)
⑨オムサロ遺跡(紋別)
⑩栄浦第二遺跡・トコロチャシ遺跡(常呂)
⑪モヨロ貝塚(網走)
⑫斜里朱円提墓群・朱円竪穴寿居群・ウナベツチャシ跡(斜里)
⑬トビ二タイ遺跡(羅臼)
などでオホーツク文化圏は括られています
詳しいレポートはこちら(PDFファイル)
R07/06/23
逢坂信治記
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