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プロローグ |
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■地中海 紀元327年 |
ハリウッド映画の作り話とは異なり、奴隷は古代ローマのガレー船には使われていなかった。有給の下士官たちが船を漕いでいた。
ガレー船はリブルニア・タイプ(古代バルカン半島のアドリア海東海岸地方の海賊が作り出した高速型)の2段櫂式の小型軽量の戦艦である。
3日前に、ガレー船はユダヤ(古代パレスチナの南部)を護衛に当たる1隻の大きな3段櫂式軍船とともに出港した。
しかし船団は、前夜の激しいスコールの間に離散してしまい、それを境に護衛船の姿は認められなかった。
帆とオールで走行する全長20m程で、青い帆と灰色の2隻の海賊船に遭遇した。
百人隊長と船長は勇敢に海賊と戦い、2隻の海賊船を撃沈したが、百人隊長は海で、船長は最後まで舵柄に覆いかぶさって居たがついに命はつきた。
木造のガレー船は岸を目指して突進し、ほどなく視界から完全に姿を消してしまった
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■ポーツマス、イングランド 1916年 |
イギリス海軍の軍艦ハンプシャー号はデヴォシシャー級の1万トンの装甲巡洋艦で、イギリス海軍では最大級の艦船の一つである。
古い2輪軽馬車からその積み荷はハンプシャー号に積み込まれた。積み荷は木製の棺ほどの大きさである。
表面には宛先が黒いペンキの型抜き文字で記されていた。
イギリス海軍所有物
宛先:サー・リー・ハント
駐ロシア帝国特命全権公私
気付 大英帝国領事館
ペトログラード、ロシア
軍艦ハンプシャー号は積み込みが完了し、ポーツマス海軍工廠を出港した。
北海沖でドイツのU75潜水艦はイギリスの戦艦を発見。魚雷攻撃。その戦艦は沈没する。
だが潜水艦の艦長はその戦艦が魚雷攻撃はなく、巨大な戦艦が何の原因でもなく沈んだように思えてならなかった。
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歴史的遺跡の発見とオスマン帝国の末裔の陰謀 |
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■キオス島 エーゲ海 |
国立海中海洋機関の調査船イージアン・エクスプローラー(エーゲ海探検)号はキオス島(ギリシャ領)の沖合・エーゲ海で海底の探査行動を行っていた。
その母船にはダーク・ピット(NUMA・国立海中海洋機関。長官)そしてその相棒のアル・ジョルディーノ(NUMA水中技術部長)とルディ・ガン(国立海中海洋機関・NUMA。次長)たちが乗り組んでいた。
その海域でピットとジョルディーノは沈船の竜骨が散在する泥の中から精緻な花模様の陶器製の箱を見つけた。その容器は葉巻箱のほぼ2倍程の大きさで、平らな側面は蓋と同じような青と白のデザインで彩れていた。
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■イスタンブール |
エジプトでモスクが爆破され。聖地への攻撃にイスラム社会は欧米への反発を強め緊張が一気に高まっていた。
ダーク・ピット(NUMA長官)とローレン・スミス(ピットの妻。米国下院議員)そしてイスタンブール考古学博物館のレイ・ルッペ博士はスルタンアメフトの静かな住宅街にある「バルックチュ・サバハッテン」のシーフード料理と会話を楽しんだ。トプカ宮殿の挨拶の門の前にあるイスタンブール考古学博物館内のルッペ博士の研究室を訪ねる。
キオス島(ギリシャ領)とトルコ本土の間の海域で、ピットとジョルディーノが古い沈船から引き上げた、王冠、鍵付きの箱、コインさらにその遺物が入っていた陶磁器の箱についての調査をルッペ博士に依頼した。
トルコのトプカプ宮殿が攻撃され、オスマン帝国時代の聖なるイスラムの至宝が奪取される事件にピットとローレンは巻き込まれる。
オスマン帝国の末裔のオズデン・セリク(トルコ人実業家)、彼が雇った殺し屋とマリア・セリク(オズデンの妹)はオスマン帝国を再興しようと、イスラムの至宝の奪取やエルサレムの遺跡の爆破などを企む。
イスタンブールの歴史的建造物をステージに活劇が始まる。読者はイスタンブールの観光を楽しみながら読み進む。
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■オークニー諸島、スコットランド |
サマー(ピットの娘。NUMA所属海洋技術者)とケンブリッジ大学の調査歴史学者のジュリー・グッドイヤーはレモンイエローの潜水艇に乗り込んでいた。
深度50m程の海底で、沈船「ハンプシャー号」を見つけた。
「この沈船は死の商人、サー・バジル・ザハロスによって1930年代に初めて発見され、部分的に引き上げられました」とジュリーが発言した。
ハンプシャー号の船腹にノコギリで切ったようにギザギザの大きな穴が開いていた。
キッチナー卿にかかわる古くからある噂と関係があるのだろうか。
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■ポーツマス、イングランド 1916年 |
ジュリー・グッドイヤーは帝国戦争博物館で、イギリス軍艦ハンプシャー号の沈没に関する調査を収録した海軍省白書とキッチナー卿の1916年の公式戦記のファイルを開いていた。またソフィーはランベス宮殿図書館でキッチナー卿の伝記を調べていた。
彼女たちはポーツマスで再会し。1911年にキッチナーが買い取った屋敷のあるブルーム公園に向かった。
今、屋敷はプチホテルとしてオルドリッチが経営していた。地下の配膳予備室の箱の中から使い古した人形を取り出した。その人形の片方の足の縫い目をほどき、フランネルで巻かれたパピルスを取り出した。
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■エルサレム、イスラエル |
エルサレムの南方向におよそ1.6キロ四方の旧市街が広がっている。エルサレムの信仰の中心地で、聖墳墓教会、西壁(嘆きの壁)、岩のドームといった歴史的な陸標等があり。オスマントルコ人が400年以上前に建てた堂々たる石の城壁がこの由緒ある一郭を完全に取り囲んでいる。
ピット・ジュニアとソフィー・エルキン(イスラエル考古学庁の課長)はヘデロの門へ向かった。二人は門をくぐり、聖アンナ教会の裏のペデスダの池のひっそりとしたベンチを見つけて、おいしい料理をやり取りしながらランチを楽しんでいた。
マリアはケデロンの谷にある導水渠の開口部から地下道に潜り込む、導水渠は岩のドーム、アル・アクサー寺院にもつながっているようだ。
マリアと近衛兵は岩のドーム、アル・アクサー寺院等を爆破すべく、プラスッチ爆弾の時限装置を地下道にセットしていた。
ソフィー・エルキン(イスラエル考古学庁の課長)とピット・ジュニアは神殿の丘の遺跡を命がけで守る為に地下の現場に急行する。
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■金角湾、イスタンブール |
オスマン帝国の末裔のオズデン・セリク(トルコ人実業家)、とマリア・セリク(オズデンの妹)は艱難辛苦の末の果実を味合うべく、最後の賭に出た。
イスラエルの水運搬船「ダヤン号」を拉致し。船内を再擬装して大量のプラスチック爆薬を仕掛けた。
ダヤン号はマルマ海に入り金角湾が見える水路に入ってきた。ガラタ橋とアタテュルク橋の間を無人操縦で航行している。
ピットはガラタ橋をくぐり抜け、ボスポラス海峡でダヤン号を海に沈める奇策に出た。
ジョルディーノは湾内で浚渫工事をしている浚渫船の後部の浚渫装置のコントロール盤の前に陣取った。
浚渫ドリルを目指してダヤン号の船首が近づいてきた。
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■キプロス |
ピット・ジュニアと妹のサマーはトロードス山脈の東の裾、海抜750mの岸壁の上に立つスタヴロォーニ修道院を訪れる。
女人禁制なので、ピットだけが内に入り、サマーは中庭にいた。
中庭の壁に、3枚のフレスコ画があり、その3枚目の上隅には冠をいだいた女性に横顔が描かれていて、彼女の指は頂きに2本の十字架が立っている高く聳える緑の山を指していた。その風景はスタヴロヴォーニの地形に似ていた。
ヘレナの横顔の下に、3隻の船が描かれている。そのなかの一隻の帆にXPの重ね文字が見えた。
NUMAの調査船イージアン・エクスプローラー(エーゲ海探検)号はピッソウリの沖、アフロディーテの岩に沿って航走していた。
ダーク・ピットはは対岸の洞窟を凝視していた。どうやらローマの沈船の手がかりをつかんだようだ。
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